「金のひしゃく」 北斗七星になった孤児たち
発行 / 財団法人 中国残留孤児援護基金
作 / 増田 昭一
先日の中学校の読み聞かせに、知人が読んだ本~
話を聞いて、見せてもらった。
戦後の満州の引き上げ者のお話。
・・・そう言えば、小学校の時 友達のお母さんが、取るものも取らず
日本に帰ってきたという話を 聞いた事があったな~
昭和20年8月9日、ソ連軍が満州全土に侵攻。
120万の人たちが家を失い、翌年の春までに20万人に近い人たちが
戦争、飢え、寒さ、病気の犠牲になったという。
そこで暮らしていた人たち、亡くなった多くは子どもとお年寄りだったと~
2月の満州は、氷点下20~30℃の日が続くそう~
「難民
収容所」という言葉が出てくる。
そうか、当時 日本人も「難民」だったんだ~と気づかされる。
難民収容所は、終戦当時は出入りが激しかったが、冬の訪れと共に
ひっそりとして~
収容所にたどり着いた人たちは、疲れと栄養失調と病気、特に発疹チフスの
ため、たった3~4ヶ月の間に 半分以上もの人が 死んでしまったらしい。
これに驚いた <新京敷島地区日本人会> 有志の人たちが、おかゆの炊き出しを
始めてくれた~
登場するのは、4人の孤児たち。
栄養失調に、病気もかかえ、子どもたちを気づかったり、守ってあげる大人はいない。
ただ、2週間に1度炊き出しに来てくれる おじさんだけが
その子どもたちに きちんと向き合ってくれる。
そのおじさんも もちろん生活は大変で、それでも炊き出しを続けてくれていて、
子どもたちはそんなおじさんに 心から感謝している。
足首が片手で握れるようになったら、2~3週間で死んでしまう。
下痢をしたり、食べるものが欲しくなくなったら、数日で死んでしまう。
這いずるようになったら、あと3~4日で死んでしまう。
手足の感覚がなくなり、動けなくなったら、あと1~2日で死んでしまう。
熱が出て意識がなくなったら、まもなく死んでしまう。
このことを、孤児たちは今までの経験で知っていた~
友だちの命の尽きる日のこと、自分の命の尽きる日のこと~
収容所の中、ストーブで暖が取れるのは、大人か、親子連れ。
親のいない子どもたちの居場所は、寒い寒い窓際~
子どもたちはおじさんに感謝しながら、次々に亡くなっていく。
最後に残った子どもが、わずかに残った力をふりしぼって おじさんに
手紙を書く~
その2時間後、やはり感謝しながら その子も亡くなる・・・
日本に帰れたら、みんなでお金を出し合って、親切にしてくれた
おじさんに 金のひしゃくを つくってあげたかった~
でも、それができないことがわかった~ごめんなさい。
お空のひしゃくぼし(北斗七星)が見えたら、おじさんに送った
金のひしゃくだと 思ってください。
キラキラと瞬いて見えた時、ぼくたちが「おじさん ありがとう」と、
声をそろえて 言っているのです・・・・・
おじさん、ほんとに やさしくしてくれてありがとう。
心が痛い・・・・・
この本を書いたのは、1928年生まれの 増田昭一さん。
このお話に出てくる4人の孤児たちは、実在した子どもたち~
その過酷な時期を 一緒に過ごした 増田さん。
この孤児たちよりも、少しばかりお兄さんだったが、やはり収容所で発疹チフスに
かかり、母を亡くし、自身も生死をさまよったらしい。
・・・・・子どもたちに、読みたい。
でも、泣かずに読む自信がない。
[1回]
PR